山彦の会 笹塚スタジオ<貸稽古場>のご紹介
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2007年『母さん』

『母さん』サトウハチローの詩と母のものがたり

4/3(火): 大田区民プラザ 4/17(火): 伊勢崎文化会館
4/4(水): さいたま市文化会館 4/18(水): 利根沼田文化会館
4/5(木): 前橋市民文化会館 4/19(木): 高崎市文化会館
4/6(金): 前橋市民文化会館 4/20(金): 秩父宮記念市民会館
4/7(土): 前橋市民文化会館 4/23(月): 長岡リリックホール
4/11(水): 熊谷会館 4/24(火): 長岡リリックホール
4/12(木): 本庄市民文化会館 4/25(水): 新潟市民芸術文化会館
4/13(金): 深谷市民文化会館 4/26(木): 新潟市民芸術文化会館
4/14(土): 深谷市民文化会館    

ハチローが書き残した「母、おかあさん、母さん」等の詩は3000編を越えると言われています。音楽劇「母さん」は、多くの人に愛唱歌として唄われている「リンゴの唄」「小さい秋みつけた」「長崎の鐘」等と共に、この度上演の為に新しく作曲された8曲を加え、サトウハチローの生い立ちと母への想いを唄い描いています。
心に響く歌声とピアノとバイオリンの生演奏でお送りいたします。

◎関連情報:「親子で歌いつごう日本の歌100選」(2007年1月NHK募集)にサトウハチローの唄「ちいさい秋みつけた」「リンゴの唄」「うれしいひなまつり」の3曲が入選しました。


【作】堀江安夫【演出】横山由和
【音楽】新垣雄
【出演】
キャスト

公演の記録

『山彦ものがたり』中国ブロック演劇鑑賞会公演ニュース

7/5(木): 岡山市立市民文化ホール 7/20(金): 島根県民会館
7/6(金): 岡山市立市民文化ホール 7/21(土): 出雲市民会館
7/7(土): 岡山市立市民文化ホール 7/22(日): 出雲市民会館
7/8(日): 倉敷市芸文館 7/24(火): 児島文化センター
7/9(月): 倉敷市芸文館 7/25(水): アステールプラザ
7/10(火): 倉敷市芸文館 7/26(木): アステールプラザ
7/12(木): サンビームやない 7/27(金): 西大寺市民会館
7/13(金): 周南市文化会館 7/28(土): 西大寺市民会館
7/14(土): 周南市文化会館 7/30(月): テアトロ・シュ・ルネ
7/15(日): リーデンローズ 7/31(火): 呉市文化ホール
7/16(月): 玉島文化センター 8/1(水): 安佐南区民文化センター
7/18(水): 県民文化会館・梨花ホール 8/2(木): 安佐南区民文化センター
7/19(木): 米子市公会堂    
山彦ものがたりチラシ有吉ミュージカル「山彦ものがたり」の足跡
有吉佐和子は、戦後日本の女流作家のなかでも随所で幅広い活躍をした。 小説、舞踊劇、戯曲などに今日も繰り返されている優れた作品を書いて、社会にアピールした。嫁、姑の争いの「華岡清州の妻」、老人問題の「恍惚の人」人種問題の「非色」等もある。その一方で、日本の古典芸能にも精通していた。 古くから伝わった昔話の「桃太郎」「兎と亀」「馬になった人間」「羽衣」「浦島太郎」「猿蟹合戦」などを練り合わせて、このミュージカルをつくり上げた。 「山彦ものがたり」は日本のオリジナル・ミュージカルを創りたいという有吉が、かってニューヨークに留学した時からの夢だったのだろう。今にして思えば先見の明であった。
1975年(昭和50年)1月に初演されたときには、忘れかけていた日本の古いお話が懐かしいメロディとともに息づいて、生き生きと蘇ったことにびっくりした記憶が残っている。それ以来33年経っても未だに新鮮なミュージカルとして繰り返し上演されている。日本国内では、北は北海道から南は九州まで。アジア圏では中国、韓国、シンガポール、ベトナムなど。また、遠くはアメリカへ2度(ニューヨーク2回と西海岸)公演して、そのつどに日本のお伽噺の内包する魅力をしっかりと伝えてきている。
とは言え、なぜこれほど長い生命力を持っているのか、それは、有吉佐和子の脚本の妙は言うまでもなく、その上演の度ごとの演出、音楽、振付に新しい手が加わって練り上げてきているせいであろうと思う。そして新しい出演者に交替しながら、より現代にマッチしたミュージカルを目指していることは頼もしく、嬉しいことだ。
これからも「山彦ものがたり」の上演が国内はもちろん世界に向けて広まることで、日本文化の妙、優しさ、ウイットなどが一層の理解を生むことになればと願っている。

藤田 洋(演劇評論家)


2006年『母さん』

「母さん」チラシ

『母さん』サトウハチローの詩と母のものがたり

12/7(木): 町田市民ホール(主催:町田演劇鑑賞会)
12/12(火):

彩の国さいたま芸術劇場小ホール(主催:大宮演劇鑑賞会)

12/13(水): 彩の国さいたま芸術劇場小ホール(主催:大宮演劇鑑賞会)
12/14(木): 彩の国さいたま芸術劇場小ホール(主催:大宮演劇鑑賞会)
12/15(金): 北トピア さくらホール(主催:城北演劇を観る会)

【作】堀江安夫【演出】横山由和
【音楽】新垣雄(作曲家)
【出演】伊東恵里/安崎求/宮内理恵/畠山智行/真樹めぐみ/松岡由眞/浦壁多恵/足立龍児

公演の記録

『母さん』舞台写真鑑賞会の皆様へ
この度は「母さん」を例会に迎えていただき心より感謝を申し上げます。05年3月東京公演、同年12月沖縄公演そして06年1月東京公演、を経て、本年12月に首都圏の皆様とお目にかかれる事、大変光栄に存じます。佐藤家三代(父、ハチロー、息子)に亘る壮絶な生のドラマの中に、息子(ハチロー)と母(ハル)の絆を描いています。昨今の新聞には親が子を、子が親を殺めるという余りにも痛ましい人間喪失、家庭崩壊の記事が溢れています。音楽劇「母さん」のドラマの中には親の勝手(都合)から子の心が押しつぶされてゆく様が描かれています。又、サトウハチローの詩と共に優しい歌声をお聞きいただければ幸いです。

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2005・2006年『母さん』

「母さん」チラシ

サトウハチローの詩と母のものがたり『母さん』

2006年1月14日(土)、15日(日)
三百人劇場
【作】堀江安夫【演出】横山由和
【音楽】新垣雄(作曲家)/與那嶺理香(バイオリニスト)
【出演】 伊東恵里/安崎求/山田麻由/畠山智行/涼木さやか/足立龍児/岡村佳代子/木下育

公演の記録

木村隆(演劇評論家)スポーツニッポン記事「舞台評」より
毎日、昼も夜も「面白い芝居」を求めて東奔西走していてもなかなか手ごたえある作品には出合えない。たまに、本当にたまに「これは!」と思うものにぶつかったときだけが生きがいと言い切れる。その数少ない作品が「母さん」だ。東京・三百人劇場でわずか4日間だけの上演。公演期間を過ぎたものは原則的にここでは取り上げないのだが、年末に沖縄と都内での再演を計画中と聞き「記録」として書きとどめておく。この作品はきっと今後、細くとも息の長いヒット作になるだろう。

詩人サトウハチローの生涯がその詩とともに音楽劇としてつづられている。1973年、70歳で亡くなるまで童謡、抒情(じょじょう)歌、流行歌、CMソングなど幅広い歌を残した。敗戦でうちひしがれた国民の激励歌となって戦後を象徴する歌となった「りんごの歌」や「長崎の鐘」そして誰しもの郷愁を誘う「ちいさい秋みつけた」。劇中では既成の歌に加え新垣雄がハチローの詩に抒情的な曲をつけている。

その美しい詩とは裏腹にハチローが実は放蕩無頼であったことは妹・佐藤愛子の名著「血脈」でも知られるが、ここでも作・堀江安夫は優しさと冷淡さ、愛憎といった人間の抱える矛盾をそのままぶつけて温かく批判もしている。

「母さん」チラシ

サトウハチローの詩と母のものがたり『母さん』沖縄公演

2005年12月3日(土)〜11日(日)
沖縄市民小劇場 あしびなー/宜野座村文化センター・がらまんホール/佐敷町文化センター・シュガーホール/パレット市民劇場(那覇市)
【作】堀江安夫【演出】横山由和
【音楽】新垣雄(作曲家)/與那嶺理香(バイオリニスト)
【出演】 伊東恵里/安崎求/山田麻由/畠山智行/涼木さやか/足立龍児/岡村佳代子/木下育
【主催】山彦の会
【共催】沖縄タイムス社/沖縄市/うるま市民教育委員会/佐敷町教育委員会/宜野座村教育委員会
【後援】那覇市/琉球放送

公演の記録

2005年12月2日「沖縄タイムス(夕刊)」
2005年12月2日「沖縄タイムス(夕刊)」

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2005年『山彦ものがたり』

「山彦ものがたり」チラシ

ミュージカル『山彦ものがたり』

2005年10月7日(金)
狛江市民ホール(エコルマホール)
【劇作・脚本】【演出】有吉佐和子
【出演】旺なつき/村國守平/三谷六九/他

公演の記録

『山彦ものがたり』東京公演
久しぶりの東京公演の上演でした。過去に何回もご観劇された方々が多数お見えになり、貴重なご意見をお伺いする事が出来ました。厚くお礼を申し上げます。

「山彦ものがたり」パンフ3つ折

韓国公演
ミュージカル『山彦ものがたり』

2005年9月30日(金)、10月1日(土)
中央大学アートセンター(ソウル)
『山彦ものがたり』韓国公演の様子

公演の記録

『山彦ものがたり』韓国公演
山彦の会の海外公演は6回目になります。厳しい状況ではありましたが、従来通り他民族への尊重からの交琉に確信を持つ事が出来ました。今後も創造的な高まりと広がりに努めて参りたいと思います。

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2005年『母さん』

「母さん」チラシ

母さん

2005年3月24日(木)〜3月27日(日)
三百人劇場
【作】堀江安夫
【演出】横山由和【演出補】末永明彦
【音楽】新垣雄/興那嶺理香【美術】内山勉
【照明】阿部典夫【音響】橋本達也【舞台監督】廻博之
【写真提供】(株)丹渓【協賛】サトウハチロー記念館
【制作】山彦の会/片山忠彦
【出演】吉岡小鼓音/安崎求/真樹めぐみ/畠山智行/山田麻由/足立龍児/小笠真紀/木下育

公演の記録

はるさんのこと(作)堀江安夫
手繰り寄せる何かがあったのでしょうか。
サトウハチローのお母さん、はるさんのことです。山彦の会の片山さんから委託され、調べを進めるうちに、もしかしたらはるさんが私を指名したのではないか、という不思議な感慨に、私は何度か捕らわれていたのです。
それは唯単に生まれが同郷(仙台)だから、というのではありません。はるさんに西洋菓子の作り方を教えたシュネーダー夫妻の夫君は、後に東北学院というミッションスクールの院長を務めた方で、キリスト教の布教に生涯を捧げた人でした。中・高とそこで学んだ私は、何度もその名を耳にしていたのです。はるさんがよく子守唄としてハチローに唄ってやった「アニー・ローリー」は、シュネーダー院長の愛唱歌でもありました。
また、はるさんのお母さんの登和子さんが、私が生まれた七郷という、仙台でも在の方の出だということも何か因縁めいていました。しかも、紅緑とはるさんの家に寄宿していて、火傷を負ったハチローを東大病院に運んだのは真山青果で、彼の出世作となった「南小泉村」は、七郷の隣村のことを描いた小説で……ということになれば、私がそこに地縁・宿縁を感じても、少しも不思議ではないように思われるのです。
ともかく、お袋不孝ではハチローに引けを取らない私でした。そんな輩が書いた芝居を、同郷のはるさんはどんな思いで見てくれるのでしょう。赦しを請うような思いで、初日の幕開きを待っている私です。

演出にあたって(演出)横山由和
『母さん』舞台写真堀江さんの脚本を読んで驚いた。どちらかといえば、私の中で封印していたというか、黙殺していたテーマ。母への想い。私の母は、病気のせいで太っていた。体がだるいの か、よく寝ていた。といっても、タバコをやめる気配はない。私のことを「ボク!」と呼び友人に聞かれると、いつも冷やかされた。「もうすぐ私は死ぬんだから…」と言っ て驚かし、母に対して素直に愛せなかった。「ほっといて」が私の口癖。そんな母も公言どおり、私が若い頃に死んでしまった。母の人生は戦争があり、私を産んで育てた。 と言っても私は双子の片割れで、ぜんそく、赤痢、ジフテリア、交通事故、大ヤケド。母の気を休ませることはなかった。そして反抗期。高校を卒業して出ていってしまった 。私は「ありがとう」の一言も母に言った事が無かった事に気がついた。後ろめたさと後悔、男性なら誰もが胸の奥に仕舞い込んでいる「悲しくてやりきれない」という想い 。そんな心に光を当ててくれたのが、この本である。「サトウハチロー」を描いてはいるが、男の根っこの部分が浮き彫りになってくる。私はこの本を読んで、少しだけ素直 な気持ちを取り戻せた。この仕事を与えてくれた、プロデューサーの片山さんに感謝。男たちよ、もっと素直になろう!

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2004年『山彦ものがたり』

「山彦ものがたり」チラシ

アメリカ公演
Tales of the Echo (Yamabiko Monogatari)

2004年12月11日(土)Los Angeles(ロサンゼルス)
日米文化会館JACCCシアター
2004年12月16日(木),17日(金)San Francisco(サンフランシスコ)
The Cowell Theaterカウウェルシアタ
2004年12月20日(月)〜22日(水)New York City(ニューヨーク)
TRIBECA(トライベッカシアター)

公演の記録

ミュージカル『山彦ものがたり』が2度目のニューヨーク公演 石井啓夫
(月刊ミュージカル2005年3月号より)
昨年12月20日から22日まで、ニューヨークで行われたミュージカル『山彦ものがたり』を見に行った。作者の故有吉佐和子の作、演出で1975年に初演され、以降、現在まで600回を越えて上演されているオリジナル・ミュージカル。可愛くて洒落たミュージカルを書きたいと願った有吉が、日本人なら誰でも知っている桃太郎や浦島太郎、カチカチ山などのお伽噺を題材に最初で最後のミュージカル台本として書き下ろした作品で、昨年が初演から足掛け30年目。これまで、日本各地での公演を始め、海外公演も'95年のシンガポールを皮切りに'00年北京他中国、'02年ニューヨーク、'03年ベトナムと行って、'04年は2度目のニューヨーク。今回は、12月8日からロサンゼルスで3公演、サンフランシスコで2公演を経てニューヨーク3公演のアメリカ3都市公演という行程だった。

ロス公演では、出演者たちのマイム的な動きが喝采を浴びたと地元日系紙サンに絶賛され、サンフランシスコ公演では、70%を占めたアメリカ人たちから、「ヤンヤの反応があって、日米の観客姿勢の違いを感じると共に、テーマやメッセージの共通性が通じたのでは」と、大鳥。わたしが観劇したニューヨーク公演は、寒波の影響で客席は満員にはならなかったが、『Tales of The Echo』と題され、全編英語で上演された舞台は始終、クスクス笑いが絶えず、亀になり馬になりの俳優たちに熱い拍手が送られていた。

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2003年『山彦ものがたり』

「山彦ものがたり」チラシ

ベトナム公演
Yamabiko Monogatari

2003年11月14日,15日
HANOI(ハノイ)
NHA HAT TUOI TRE(青年劇場
2003年11月18日
HUE(フエ)
2003年11月22日,23日
T.P HO CHI MINH(ホ−チミン)
2003年12月4日日本経済新聞
▲2003年12月4日
「日本経済新聞」に記事掲載

公演の記録

2003年12月4日「日本経済新聞」より抜粋
作家の有吉佐和子先生が書いた唯一のミュージカルが「山彦ものがたり」だ。われわれ「山彦の会」は28年にわたり、この作品を上演し続けている。先月はハノイ、フエ、ホーチミンとベトナム三都市で公演した。
有吉先生はベトナム戦争を人間の魂救済の立場から描いた「ケイトンズビル事件の9人」を自ら翻訳するなどベトナムに強い関心を抱いていた。ベトナムでもこの戦争を知らない世代が人口の半分になるという今、先生がベトナムの変わりようをどう見られるかとの思いが胸をよぎった。
「山彦ものがたり」は76年8月公演の後、一時中断した。84年、芸術座の楽屋におられた先生から「どうするのよ。何もたもたしているの」とおしかりの電話を受けた。「もうすぐ立ち上げます」と返事をしたが、それが先生との最後の会話になった。53歳で急逝されたのだ。
88年に活動を再開。98年からは現代的なテンポに合わせるため、テーマ曲だけは残し新たに作曲を山口I也さん、振り付けを出雲蓉さんに依頼した。その結果、セリフ部分が歌に変わり、曲数は倍になった。
初演以来、中国、シンガポールなど海外公演を含め上演回数は600回以上になる。国内では地方公演を前提としているため、大荷物になる舞台装置は何もない。しかし、初演から生演奏付きで手抜きはしていない。
昨年11月のニューヨーク公演では英語版「Tales of the Echo」をハンターカレッジ内プレイハウスで上演した。

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2003年『叱られ坊主』

「叱られ坊主」チラシ

叱られ坊主

2003年4月2日(水)〜4月6日(日)
シアターサンモール
6月20日(横浜)
2003年6月23日〜25日(東北公演)
6月27日(所沢)
【作・演出】岡部 耕大
【音楽】coco華【振付】条 文子
【後援】(社)日本童謡協会「おかあさんの詩」全国コンクール実行委員会【協力】ハトウハチロー記念館
【出演】吉岡小鼓音/櫻井章喜/高橋 広司/真樹めぐみ/松尾あぐり/他

公演の記録

『叱られ坊主』チラシより抜粋
2003年は、サトウハチローの生誕100年にあたり、没後30年にもなります。
子どもの心を失わない素朴で優しい詩には、今でも感心が高く、多くのファンを持っています。
昭和27年の初夏、サトウハチローを囲む童謡の勉強会「木曜会」をメイン舞台として、少年時代のハチローが複雑な家庭環境の中で孤独になり、荒れすさみ、やがて、人との出会い、言葉との出合いを通して、母を慕い、理想の母の中に無い物ねだりの詩を書くサトウハチローの青春時代をえがくものです。

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2002年『山彦ものがたり』

「山彦ものがたり」チラシ
▲パンフレット

ニューヨーク公演
「Tales of the Echo (Yamabiko Monogatari)」

2002年11月14日〜11月17日
New York City(ニューヨーク)
Kaye Playhouse
2003年1月1日YOMIURI新聞
▲2003年1月1日
「読売新聞」に記事掲載

公演の記録

ニューヨークに谺した「ヤッホー」北川登園(テアトロ2002年3月号より抜粋)
ミュージカル「山彦ものがたり」(作・演出=有吉佐和子、演出=岡本一彦、音楽=内藤法美、山口I也、振付=出雲蓉)が、昨年十一月、ニューヨークでの初の英語バージョンの公演を行った。十四日の初日と十七日の楽日をのぞいたが、全五ステージはなかなかの好評で、"山彦"はビルの谷間に大きく谺した。「子供たちのため、全米の学校公演をしないか」などと薦める声も相次いだ。

この公演の二日目に駆けつけた有吉の長女で作家の有吉玉青は、「本当に嬉しい。母が望んでいた公演かもしれません。観客の皆さんに喜ばれたのが何よりです。母は小説だけでなく、戯曲を書いていたんだなぁ、と実感しました。最後の場面で客席の子供からグッバイと言う声がかかりました。舞台の世界に入っていたんですね」と、公演に立ち会えた喜びを語った。

「山彦ものがたり」チラシ

英語によるミュージカル
山彦ものがたり

2002年12月6日(金)〜10日(火)
三百人劇場
【脚本・演出】有吉佐和子
【作曲】内藤法美【演出】岡本一彦
【振付】出雲蓉【作曲・音楽監督】山口I也
【演奏】山口ひでや/清水直人/石井幹雄/佐藤滋
【出演】旺なつき/村國守平/吉岡小鼓音/松本邦裕/宮内理恵/真樹めくみ/勅使瓦武志/ 中右貴久/他

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2000年『山彦ものがたり』

「山彦ものがたり」チラシ


「山彦ものがたり」

2000年1月19日,20日(北京)中国児童劇場
2000年1月22日(西安)
2000年1月25日(杭州)
2000年1月27日,28日(上海)
2000年2月9日読売新聞(夕刊)
▲2000年2月9日
「読売新聞(夕刊)」に記事掲載
2000年2月19日埼玉新聞
▲2000年2月19日
「埼玉新聞」に記事掲載

「山彦ものがたり」チラシ

東京芸術劇場「ミュージカル月間」優秀作品賞
山彦ものがたり

2000年2月23日(水)〜27日(日) 東京
芸術劇場中ホール
【作・演出】有吉佐和子
【作曲】内藤法美【演出】
小林裕【振付】出雲蓉【作曲・音楽監督】山口I也
【出演】旺なつき/岸田智史/福井貴一/吉岡小鼓音/勅使瓦武志/宮内理恵/佐渡寧子/山崎岳大/難波美妃/他
「山彦ものがたり」パンフレット
▲パンフレット

公演の記録

◆有吉佐和子と『山彦ものがたり』大笹吉雄(パンフレットより)
ミュージカル『山彦ものがたり』は一九七五年の初演以来、これまで再演を繰り返してきている。はじめから片山忠彦氏が制作にたずさわってきている作品で、紆余曲折を経て現在も、なお片山氏が「山彦の会」を主宰しているのは、ある意味で原点を守りつづけているということもできる。
数々の小説で知られる有吉佐和子は、それほど多くはないものの戯曲にも手を染めた。中でも代表作とされるのは、文学座での杉村春子による初演以来、歌舞伎の坂東玉三郎や新派の二代目水谷八重子などによっても手掛けられている『ふるあめりかに袖はぬらさじ』と、小説をみずから戯曲化した『華岡青洲の妻』である。この二本はこれからも上演を重ねていくに違いない。

ミュージカルという性格上、戯曲の完成度という点ではこの二本に及ばないが、広く親しまれ、上演されつづけていくだろうということでは、『山彦ものがたり』もそれらに決して劣らない。
ご覧になればすぐおわかりのように、ここには多くの日本の昔ばなしが取り入れられている。だからもしかするとこの作品は、児童向け書かれたと思われているところがあるかも知れない。が、断言していいと思うのだが、『山彦ものがたり』はそれだけのものではないし、あるはずがない。というのも、『山彦ものがたり』の初演の前年から有吉佐和子は一方で、問題作の『複合汚染』を新聞連載しはじめているからである。
周知のようにこの小説は、公害問題を真正面から描いたもので、社会の目をそれに向けさせる上で大きな影響をおよぼしたが、私見によれば、『山彦ものがたり』は、これと表裏一体をなしている。公害への怒りがあればこその自然賛歌、人間賛歌なのである。人に呼びかけただちに答える山彦は、そのシンボルである。もし山彦がいなくなったら……と想像すれば、作者がここで何を意図したかは、おのずと理解されるに相違ない。

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1996年『山彦ものがたり』

「山彦ものがたり」チラシ

山彦ものがたり

1996年6月17日(月)〜20日(木)
近鉄劇場
1996年6月21日(金)〜29日(土)
関西巡演
【作】有吉佐和子
【演出】藤原新平
【振付】池田瑞臣【作曲】上田亨
【演奏】荻原忠利/藤舎呂船社中
【出演】榛名由梨/高汐巴/永江智明/中下信哉/浅地直樹/安崎求/有馬理恵/他
「山彦ものがたり」公演プログラム
▲公演プログラム

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1991年『山彦ものがたり』

「山彦ものがたり」チラシ

文化庁優秀舞台芸術奨励作品、東京都優秀児童演劇選定「優秀賞受賞」、厚生省中央児童福祉審議会 特別推薦
山彦ものがたり

1991年1月8日(火)〜1月13日(日)
俳優座劇場
【作・演出】有吉佐和子
【作曲・編曲】内藤法美/福井峻
【振付】関矢幸雄【演奏】荻原忠利/藤舎呂船社中
【出演】松山政路/鈴木慎平/田村耕一/小松たかし/松下惇/松岡由眞/森田克子/水野千夏/今井里美/橋本晶子/田村多鶴子/木野しのぶ/今本洋子

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1989年『山彦ものがたり』

「山彦ものがたり」パンフレット
▲パンフレット

思い出公演
山彦ものがたり

1989年10月22日(土)〜27日(木)
近鉄劇場
【作・演出】有吉佐和子
【作曲】内藤法美【演出・振付】関矢幸雄
【出演】松山政路/尾藤イサオ/田村耕一/小松たかし/森田克子/川鍋ふさみ/佐藤真浪/他
「山彦ものがたり」上演企画書
▲1988年上演企画書

公演の記録

あらすじにかえて(チラシより抜粋)
『山彦ものがたり』の初演は、俳優もスタッフも有吉佐和子さんの呼びかけで集められました。この度の舞台は、有吉佐和子さんはすでになく、その「有吉ミュージカル」の評判が、俳優を呼びスタッフを集めたといってもよいでしょう。その呼びかけに早速かけつけた内藤法美さんが突然なくなられて、有吉、内藤両先生の思い出を偲ぶ公演になってしまいました。かつて有吉さんがパリに居る内藤さんに電話して、「あなた!『山彦ものがたり』が今大当たりしているのに、どうして今頃パリでウロウロしているの?早く帰っていらっしゃい!」と叱られたということですが、再び、その興奮を、お二人喪きあとの舞台で再現したいものです。

新しい衝撃が予想できる『山彦ものがたり』藤田洋
(企画パンフレットより抜粋)
有吉佐和子さんが書き卸したミュージカル「山彦ものがたり」は、初演当時(昭和五十年一月)、簡潔、清楚で、しかも人間の心の奥底に斬りこむ、すぐれた作品として、立て続けに再演・三演を重ねた。
たった十人の出演者は、いずれも有吉さんとプロデューサーの片山忠彦さんが、方々の舞台を見歩いて、才能豊かな俳優を集めてきただけあって、強烈な個性をもつ役者ばかり。選び抜かれたメンバーが、合宿をして丹念につくりあげた舞台だから、たいへん感動的に仕上った。(中略)
有吉さんは、急逝された。しかし、「山彦ものがたり」という、得難いミュージカルの名作はのこっている。松山さんと片山さんが、有吉さんの意志をついで、もういちどこの作品を世に送り出してみようと考えたのは、けだし当然といえよう。
その話を聞いたとき、前の再演ではなく、一九八八年の「山彦ものがたり」をこしらえてほしいと頼んだ。この作品に、新しい生命を吹き込むことが、再び新鮮で、衝撃的な舞台となる。有吉さんがいちばん強く注文するにちがいない方向に、沿うものだと信じるからである。

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1979年『オホーツクの女』

「オホーツクの女」チラシ

オホーツクの女

1979年4月6日(金)〜4月13日(金)
東横劇場
1979年5月〜6月
北海道公演
【作】本山節弥【演出】広渡常敏
【装置】岡島茂夫【音楽】池辺晋一郎【照明】薄井澄夫【効果】田村悳【衣装】佐藤志都子【舞台監督】中杉雄一
【制作】片山忠彦
【協力】東京演劇アンサンブル/民衆舞台・新人会
【出演】伊藤克/佐藤オリエ/塚本信夫/辻伊万里/他

公演の記録

まぶしい光景(演出家)広渡常敏(チラシより抜粋)
この作品がぼくを撃つのは、事実の重みである。それはこれまで自然主義の作品について言われてきた"事実"という意味とは違うものだ。近代化という狂暴な破壊力がエコロジー(生態系)を破壊し、科学と技術を信仰してきたリアリズムの方法そのものを破壊してしまったという、事実の重みがぼくを撃つのである。
現代密着の作品が近代化という狂暴な歴史の渦の中にあわだちながら、異様なケンタウロス出現の光彩をぼくにつきつけてくる。
舞台に登場するのは、破壊されたものたちのエネルギーを荷電したケンタウロスたちである。
ぼくらはケンタウロスたちの非現実のコミュニティを出現させることができるだろうか。

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1975年8月『山彦ものがたり』

「山彦ものがたり」ポスター
▲1975年
「日生劇場 」ポスター

日生劇場での再演
山彦ものがたり

1975年8月1日〜8月24日
日生劇場
【脚本・演出】有吉佐和子
【振付】関矢幸雄【音楽】内藤法美
【出演】宮城まり子/前田美波里/安宅忍/鈴木慎/片山せつこ/神保共子/竹内幸子/松山省二/他

公演の記録

山彦の会、宮城まり子、有吉佐和子からパンフレットに同封された本公演についてのご案内
※山彦の会、宮城まり子、有吉佐和子からパンフレットに同封された本公演についてのご案内。

宮城まり子の言葉
“大人は、昔、子供だったのに、子供だったことを、忘れている大人がいる”サン=テグジュベリの星の王子様の言葉が、好きです。
「山彦ものがたり」に、出演させて戴いていて、毎日、子供達が、私達の動きの通り、お顔や、口を動かしていて、それがいつのまにか、大人にうつって、一緒に、拍手したり、笑ったり、唄ったりして下さっていられるのを、感動しながら舞台に立っていました。子供達は、ぴらぴらしたものも、キラキラしたものも、ぜんぶいらない素のものを、もっとも、美しく受けとって下さいました。
このミュージカルが、子供達と大人にこんなによろこんでいただけて、再演が、出来ますこと、この上ない幸と、又、大きなおそれを、感じます。だって、子供達って、うそは、ちゃんとわかっちゃうんですもの。
どうぞ、夏休みの一日、お楽しみいただけたら、うれしく思います。お待ち申しあげます。
四月七日 宮城まり子

有吉佐和子の言葉
「山彦ものがたり」舞台写真数年前から知識人と子供の両方に焦点を当てたミュージカルを作りたいと考えていました。それがこの正月「山彦ものがたり」の自主公演として実を結びました。大道具もコスチュームも使わないで、俳優は肉体と演技力だけ、美しい音楽の流れに乗って唄い、踊る。まだ誰もやっていない試みなので、稽古中は五里霧中でしたが、幕をあけてみたら観客の拍手に迎えられ、大きな成功を納めていました。
小さなホールで、短い期間でしたが、特に教育者とお子さんたちに喜んで頂けましたのと、今度同封のご案内のように日生劇場で再演されるはこびになりましたので、宮城まり子さんと二人で「学校の先生たちにお手紙出してみましょうか」「これまでそんなことしたことないけど、やってみましょう」「あんなに子供たちが喜んでくれたのだから、もっと大勢のお子さんたちに見てもらいたいわね」という話になり、こういう手紙を差上げることにしました。
楽しい夏休みの一日を、大人も子供も一緒になって笑って暑気ばらいをして頂けたら幸せです。お待ちしております。
四月七日 有吉佐和子

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1975年1月『山彦ものがたり』

「山彦ものがたり」チラシ
▲1975年「紀伊國屋ホール」チラシ

山彦ものがたり

1975年1月5日(日)〜1月28日(火)
紀伊國屋ホール
【作・演出】有吉佐和子
【振付】関矢幸雄【音楽】内藤法美
【美術】園良昭 【照明】山内晴雄【効果】奏和夫【舞監】大河内稔【製作】山彦の会/片山忠彦
【出演】安宅忍/今井和子/佐々木功/杉本淳子/神保共子/鈴木慎/前田美波里/松山省二/宮城まり子/矢崎滋/他
「山彦ものがたり」パンフレット
▲1975年「紀伊國屋ホール」パンフレット
「山彦ものがたり」初演配役のレコード、チラシ
▲初演配役のレコード、チラシ

公演の記録

作者の言葉 有吉佐和子(『山彦ものがたり』チラシより抜粋)
随分長い間、可愛いくて洒落たミュージカルを書きたいと念願していました。背景は使わない。大道具も小道具もない舞台で、上手な俳優だけ縦横に活躍するミュージカルを思い描き始めて、もう六年くらいになるでしょうか。
日本のお伽噺、日本人なら誰でも知っている桃太郎や浦島太郎、カチカチ山から花咲爺まで、できれば全部盛込んで、スピーディに話を運び、美しい音楽と、機智ある振付けによってミュージカルを仕立て上げたい。この願いを知って、飛びついてきたのはまず俳優さんたちでした。どの興業会社も劇団も、大道具を使わないと聞いただけで首を傾げてしまったのです。俳優は十人しか必要ないと私が言っても、それだけのことができる十人は、うちでは揃わないと答えてきた劇団がありました。
そこで山彦が集って、こうした自主公演の運びになりました。実力のある人ばかりが、やる気で力を合わせたのです。私も全力を尽くしました。

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1972年『ケイトンズヴィル事件の九人』

「ケイトンズヴィル事件の九人」チラシ

ケイトンズヴィル事件の九人

1972年10月7日(土)〜10月16日(月)
紀伊國屋ホール
【作】ダニエル・ベリガン
【訳】有吉佐和子・エリザベス・ミラー(新潮社刊)
【脚色・演出】有吉佐和子
【美術】園良昭 【照明】古川幸夫 【効果】奏和夫
【製作】「ケイトンズヴィル事件の九人」 上演委員会
【出演】芦田伸介/荒木道子/伊藤豪/宇野重吉/緒形拳/小沢栄太郎/小沢重雄/桑山正一/下元勉/杉村春子/杉山とく子/杣英二郎/滝沢修/太刀川敬一/鶴丸睦彦/久富惟晴/藤春枝/松山省二/他
【声の出演】高峰秀子/中村翫右衛門

公演の記録

あらすじ(『ケイトンズヴィル事件の九人』チラシより抜粋)
ケイトンズヴィル事件というのは、アメリカの首都ワシントンに近いメリ−ランド州のケイトンズヴィルという町で1968年5月17日に実際に起こった事件である。首謀者はフィリップ・ベリガンというカトリックの司祭であり、兄のダニエル・ベリガン神父も含めて九人のカトリック教徒が反戦運動の一環としてケイトンズヴィルにある兵役事務所を襲い、徴兵書類を焼き捨て、その場で逮捕された。マスコミには事前に通知し、テレビカメラや新聞記者の目前で彼らは書類を焼き、警官に連行された。この戯曲は、詩人としてすでに評価されていたダニエル・ベリガンが、判決後、地下潜行中に書き上げたものである。彼が逮捕されたあと、この戯曲はカルフォルニア州にある教会の中で有志によって上演されていたのだが、ニューヨークのプロダクションの目に止り(ザ・サウンド・オブ・ミュージックなどを興行した有名な)1971年にブロードウェイで職業俳優たちの手によって上演され大評判を呼んだ。

有吉佐和子の言葉(『ケイトンズヴィル事件の九人』チラシより)
「ケイトンズヴィル事件の九人」 上演委員会(紀伊國屋ホール)『ケイトンズヴィル事件の九人』上演委員会氏名

この芝居は、世界中の人間のために書かれたものです。この公演には、演劇界から予想外の反響があり、有名無名、老若男女の俳優が、劇団を問わず、フリーといわず続々と参加しています。こんな結果を招いたのは、第一に作者のダニエル・ベリガン師の素晴らしさに、みんなが人間的共感を抱いたからだと信じます。私は翻訳者として演出家として、この芝居を見て楽しいものにすることを約束します。


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